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   90歳にして大動脈弁置換術を受ける 

 ――ニューハート・ワタナベ国際病院での体験記――  福井県立大学名誉教授 凌星光  今年5月27日から6月4日迄の8日間、ニューハート・ワタナベ国際病院に入院し、精密検査を経て、6月28日に再入院。7月1日午後、「大動脈弁閉鎖不全症」治療のため、「小切開」による「大動脈弁置換術」を受けた。わが一命に係る大手術であり、一抹の不安は消えていなかったが、幸い手術は成功し、7月15日無事退院することができた。下記は私のニューハート・ワタナベ国際病院への感謝状でもある。  一、 浮間中央病院への急診  5月に入ってから上が200mmHg前後の高血圧が続いたが、自覚症状は普段通りであったため、余り重視しなかった。だが、5月6日呼吸困難になり始め、身体に異常を感じるようになった。翌7日からは横になると呼吸が苦しく、上体を起こして仮眠を取らざるを得なくなった。これ以上放置するわけにはいかぬと思い、9日午後、タクシーを呼んで通院先の浮間中央病院に向かい受診すると、鬱血性心不全と診断され即入院となった。薬物療法を経たお蔭で、約一週間後に諸数値は正常となり、21 日には退院できた。だが、副院長の中山清和医師からは、私の場合心不全の原因は「大動脈弁閉鎖不全症」にあり、それを根治せねば再発するのは時間の問題、心臓血管外科のある大病院か専門病院で診て貰うようにと勧められた。そして、高齢者にはこのような手術は難しいので一般には施術しないが、私は元気だから手術を受けられるかもしれないと言われ、紹介状を書いてくれることとなった。  二、心臓大手術の是非:自然死か寿命延長か  統計によれば、一度心不全を患った者は その半分が5 年以内に亡くなっているという。つまり私の寿命は残り2、3 年ということになる。常日頃、妻とは自然死について話し合っている。私は現在満89 歳、妻82 歳。この年まで生きてこられたのだから、延命策など取らずに自然死でいこうと言うことだ。私はまだ呆けては居らず、視力、聴力、言語力及び思考力等全てが正常範囲にあり、大動脈弁だけが病巣だとすれば、置換術を受けて寿命を10 年(?)延ばすことも重要な選択の一つだ。更には、近年来、心臓手術の技術進歩は目覚ましく、平均成功率は98%に達すると聞く。妻や身内の者と話し合って、手術をすることに決めた。「人生百年」を目指して、病魔と闘う決心をしたのである。「大動脈弁置換術」と言った一命に関わる大手術を受けるには、少なからぬ覚悟を要したが、決心した以上は動揺することなく突き進むのみである。 三、ニューハート・ワタナベ国際病院の選択   入院先を決めるに当たり、総合病院か専門病院かを考えた。総合病院は併発病が起きた際に対応し易いというメリットがある。専門病院中、特にニューハート・ワタナベ国際病院は心臓病治療のための専門病院で、病院の建設、各施設の配置など全てが理想的に組み合わされている。その上、成功率99.5%という世界一のレベルが魅力的だ。渡辺剛院長の素晴らしい業績、パイオニア精神、患者の反応などを妻はじめ身内の者がいろいろと資料を集めてくれた。私自身も調べてみて、渡辺院長が金沢大学医学部出身であることに親近感を覚え、一命をこの病院に託すこととした。私は1990年から92年にかけて、金沢大学経済学部の教授を担ったことがあり、渡辺院長が2014年に東京に進出した意気込みに感銘を受けた。また、妻が、私がまだ浮間中央病院に入院中の5月19日21時過ぎ、PCで該病院の受診要望欄を見つけて早速私の病状と受診要望を書き込んでメールを送信したところ、翌午前11時、院長から「渡辺剛です。メールありがとうございます。了解いたしました。ぜひ拝見させていただきたいと思います。・・・」という丁寧なお返事が即座に届いたことに私も妻も大いに感動し、勇気づけられた。  四、瀬口主治医による手術可能の知らせ  私の担当医療チームは渡辺剛院長、瀬口龍太(血管外科)副部長、小圷徹医3名で構成され、瀬口医師が主治医を務められた。瀬口医師も院長と同じく金沢大学医学部出身であり、院長の愛弟子である。今年38歳の若さだが、年間執刀回数は300回余にも及ぶという。検査結果後「小切開」による手術を行うことができると瀬口医師から知らされた時は「あゝ、よかった!」と心底安堵した。引き受けてくれる以上成功させる自信があるからで、患者としては一安心だ。「しかし」と瀬口医師は続ける。渡辺院長の日程が詰まっており、手術は早くて7月1日、でなければそれ以降になるという。では、最速の7月1日でお願いしますと伝えて手術日が決まった。病名は「大動脈弁閉鎖不全症」で、「胸腔鏡下大動脈弁置換術」を7月1日に行うこととなった。因みに、置換するのは牛制生体弁である。  五、心臓大手術の実体験  7月1日13時過ぎに妻に見送られて病室を離れ、13時10分頃手術室に運ばれた。間もなく全身麻酔で眠りに着く。―――――「無事終了しました、体の血を拭いてから集中治療室に運ばれるので、今から20分後に会いに行って下さい」と、待ち受けていた妻に瀬口医師が伝えたのは18時20分頃だと言う。瀬口医師は赤ら顔で疲れ切った様子だったそうだ。翌朝7時半ごろ、集中治療室で麻酔が解けて、意識が戻り、手術の成功を実感した。そして自力で数分間息をした後、7時50分、人工呼吸器が外された。だが、集中治療室での2日間と病室に移ってからの数日間は「悪戦苦闘」の日々であった。咳をして痰を出す都度傷口が痛んだ。またどうしたことか全身に蕁麻疹のような症状が出て痒くてたまらず、眠れぬ日が続いた。だが病状は着実に快方に向かっており、蛸の足のように張り巡らされたチューブは一本一本外されていき、7月7日に最後の管ドレインが瀬口医師によって取り外された。この時、彼は看護師の手を借りることなく、実に動作素早く一人で処理し終えた。それを目にした私は、彼は渡辺院長に次ぐ神業医師ではと思うに至った。後日、私の手術は、心臓膜が老化により切れ切れになっていたため、3時間の手術予定が1時間延びて、結局4時間も要したことを知らされた。手術室での瀬口医師の神業ぶりが想像できる。術後一週間の苦闘とチューブ外しの中で、私の手術が大掛りな大手術であったことを改めて実感した。  六、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院  ニューハート・ワタナベ国際病院では、精密検査の8日間、心臓手術の18日間、計26日間の入院生活を送った。そこでは、確かに世界一流の病院であることを体験することができた。優れた心臓外科医師と必需の先端設備、施設を擁しており、病棟はすべて個室である。更に各医療技師の責任感や看護師の患者への思いやりは身にしみて感じられた。全身の皮膚が赤くなった時には、看護師がすぐに気が付き、アイスノンを持ってきて痒みを抑えてくれた。また尿道管を外した時には出血するかも知れないと事前に教えてくれ、常に患者の精神的負担を軽くするよう心掛けてくれた。私が今回当院でお世話になった看護師達は、全部で30数名に達する。総体で感じたことは、スタッフ各々が渡辺院長の求めている「自覚と誇り」に応えていることだ。一つの病院を経営するのは並大抵なことではないと言われる。渡辺院長の医療技術と病院経営両面での才能の発揮に敬意と賛辞を捧げたい。  人生の終わりに近づいた今日、世界一流のニューハート・ワタナベ国際病院で心臓の大手術を受けられたこと、日中両国の友人に見舞われて大手術を受けられたこと、身内の者に見守られて大手術を受けられたことは、何と幸せであったことだろう!今後10年(?)、自分の立ち位置を十分にわきまえ、余生を静かに且つ有意義に送りたいと思っている。  渡辺剛院長はじめ瀬口龍太医師、小圷徹医師ほか病院スタッフの皆様に心からの感謝の念を伝えたい。同時に 日中両国の友人各位の友情と励ましに深謝すると共に、妻はじめ身内の皆が我儘な私を愛情をもって支えてくれたことに心から感謝したい。  (7月29日執筆8月19日脱稿)