東西の文化に学んで医学の発展を追求する―初の西洋医学・中国医学のダブル博士マリ出身の中医師ディアッラ氏に聞く
外国人として、中国医学とその中に秘められた中国文化に魅せられて中国に留学。博士課程まで進んだのみならず、中国にとどまって医者になった。行く手を阻んだのは、方言を聞き取り医学書の古文を学ぶ難しさだけではない。最大の悩みは、自分の診察を受けに来る人がいるのだろうか?ということだった。 ディアッラ氏は現在、成都のある中国医学の病院で診察をおこなっている。黒い肌が際立つ白衣、その内側には中国風の青いシャツ。眼差しには力がこもり生き生きとしている。患者が中国医学の診療を受けるさいの恐れを払拭しようと、なめらかな四川方言で巧みに冗談を飛ばしてみせる。その医徳〔医師としての道徳〕と技術が信頼され、病院の狭い廊下には、その名を慕ってやってきた患者たちが列をなしている。 文化と国の境を飛び越え、ディアッラは自らの「中国医学の夢」を叶えただけでなく、中医学が世界に広がる手助けもしている。このほど、初の西洋医学・中国医学のダブル博士であるこの医師が独占インタビューに応じてくれた。ディアッラからみれば、中医薬は中華民族の文化の一部であり、優れた伝統文化は世界の財産として、全世界で共有し享受する価値がある。そして唐代の医薬学者・孫思邈(そんしばく)が『大医精誠』(中国医学の典籍の中で医徳を論ずる重要な文献)で述べているように、医者たる者は洋の東西を問わず、患者に「分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接する」べきだと考えている。 記者:マリでは医者の家系に生まれたそうですね。1984年に中国に来て西洋医学を学んだ後、なぜ中国医学に進路変更を? ディアッラ:その年、ヨーロッパへの留学の機会を捨て、西洋医学を学ぶため中国に来て一般外科を専門にしました。ところが間もなく、中国に来たのに、なぜ本場の中国医学を勉強しないのかと思い至ったのです。いきなり考えを変えたので、多くの人に反対されました。第1に当時の私は中国医学のことをよく知らなかったし、第2に私を含めて多くの外国人は、中国のことも理解していませんでした。でもある出来事によって、私は中国医学に夢中になったのです。 あるクラスメイトがサッカーで足を捻挫し、 とても痛がっていました。学校の医師が鍼灸をすると、すぐに立ち上がれるようになり、一緒に寮に戻りました。そのとき、これぞ中国医学だ!と大いに神秘的な感覚に打たれました。 その後、まず広州中医学院〔現在の広州中医薬大学〕の本科・修士課程で学び、続いて成都中医薬大学で博士課程に進みました。そのまま1997年に博士課程を修了し、中国医学の博士号を取得した最初の外国人となりました。 記者:西洋医学と中国医学は、どこが違いますか? ディアッラ:私が幸運だったのは、西洋医学を学んでから中国医学も学んだことです。この2つの医学はどちらも人類の健康のために貢献しており、それは不滅のものです。 「中国医学はいいのか、信じられるのか」と聞く人がいます。答えは簡単で、もし中国医学がだめなものなら、中華民族5000年の歴史はどうやっていままで続いてきたのでしょうか。西洋医学が中国に伝わって200年にもなりません。マリの人々が、ヨーロッパの人間が来るまでマリの伝統医学だけを信じていたのとよく似ています。 自然界で生きる古人は病気との闘いを通じて一連の予防・治療法を導きだしました。中国医学はその上に築かれたものです。人体は1つの有機的な全体であって部分ではなく、さらに自然界の天地・陰陽と結びついたものだと考えられています。一方、西洋医学はこれと違って別々に考えます。例えばなぜ発熱するかを考えるなら、細菌なのかウイルスなのか、A型なのかC型なのかと具体的な原因を探ってから排除するのです。中国医学が治すのは人であり、全体です。西洋医学が治すのは人に起こった病気です。両者は学び合い、長所を補い合って、お互いに強め合うべきです。 記者:中国医学を勉強するなかで、どんな困難を克服しましたか? ディアッラ:1人の外国人として、当時の最大の困難は言葉でした。まず中国語を1年半学び、すぐに中国のクラスメイトたちと一緒に授業を受けたので、その難しさは相当なものでした。当時、クラスには8人の留学生がいましたが、言葉のハードルを越えられず、学年が進むと2人しか残っていませんでした。 方言の聞き取りと医古文の学習はさらに難しいことでした。まず北京で普通話を勉強してから広州で授業を受けましたが、先生はみな広東人で、広東語で外国人に『黄帝内経』を教えるので、1年目は全く聞き取れません。それから『古代漢語詞典』と『新華字典』を手元に置き、調べながら暗誦して、さらにクラスメイトや先生の助けも得て、どうにか乗り越えたのです。 このほか、中国の患者とのコミュニケーションの問題もありました。黒い肌の外国人が中国医学を勉強していても、患者はやって来るでしょうか? 私が患者の信頼を得るためには、他の人より努力を重ね、広東語や四川語などの方言を理解し、なんとか患者と意思の疎通をはからなければなりません。これは至難のことでした。 記者:中国医学は陰陽五行を理論的基礎として、人体を「気・形・神」の統一体だと考えています。中国医学の背後に隠された中国文化をどのようにみていますか? ディアッラ:中医薬の文化は、中国人が生命・健康・病気に対して独自に持っている知恵の結晶と実践がまとまったものです。認知・思考の方法、死生観、健康の理念、医者と患者の関係、診察方法、養生の方法、生活様式、薬物の処方・運用システムなどの知識体系と、医療 サービス体系が含まれます。それは「天地一体、天人合一、天地人知、和して同ぜず」の思想を基礎とし、無数の人々を担い手とする臨床治療経験を数千年にわたって積み重ねることで発展してきた医療科学です。例えば神農〔医薬と農業を司る神〕は百草を試して、自らの体を数百の薬草の実験台としたからこそ、これらの薬の作用を知ることができたのであって、動物で実験してから人間に用いたのではありません。 このように、中国医学は中華民族の認識方法と価値観の方向性を深く体現し、その豊かな文化的エッセンスを含んでいるのです。 中国医学は中華民族の文化的精神を豊かにしており、中華文化の一部分であり、中華民族の生命・健康・病気に対する考え方を表しています。中国医学を理解すれば、中華民族の文化をよりよく理解でき、この両者は相互に通じ合うものです。 記者:現在、地球規模でコロナ禍にある中で、中国医学は独自の役割を果たしています。中国医学によるコロナ対策は、西側世界で具体的にどのように実践されていますか? ディアッラ:世界的なコロナ流行は突然現れたため、我々はコロナのことをよく知らず、経験もありませんでした。コロナが流行し始めたばかりのころ、マリの駐中国大使館から私に電話があり、中国医学を非常に信頼しているので、何か手立てはないかと尋ねられました。 私はこう答えました。この病気の原因はわかりませんが、中国医学は病人でなく現象を、すなわち臨床像に注目するので、相応しい弁証論治(中国医学の疾病認識・治療の基本原則)の方法を探り当てて治療できます。歴史上の伝染病には治療に成功した非常に多くのケースがあるのと同様に、私は中国医学には手立てがあると信じています、と。このほか、私の博士課程修了後のテーマは中医薬による鳥インフルエンザA(H7N9)の治療です。中医薬は扶正袪邪〔正気を養い、邪気を除くこと〕ができ、人間の体がウイルスを含む外来の邪気に抵抗する助けとなります。 後に我々が確かに目にしてきたように、中医薬はコロナの治療に介入した後、非常に優れた役割を果たし、高い総有効率〔中医薬臨床研究における複合的効果指標〕を表しています。また中医薬の介入後は、症状を効果的に和らげ、重症化を減らし、治癒率を高め、死亡率を低下させることが可能です。 中国はすでに世界保健機関〔WHO〕に対し、中医薬がコロナ対策において果たす役割について報告しています。我々はまた、世界中医薬学会聯合会のリードのもと、世界中の医師とビデオ会議を頻繁に開催し、中医薬のコロナ予防効果について紹介しています。 中国医学に携わる者は、西側の人々にこういった成果について理解を求めるべきです。必ずしも同意は得られないかもしれませんが、中医薬のコロナ対策における実例は否定できないものです。 記者:初めての外国籍の中国医学博士として、現在中国で医療現場に立つと同時に、中国医学が世界に広がる手助けもされています。医療に国境はなく、東西を分ける必要もないと考えますか? ディアッラ:『大医精誠』に次のような言葉があります。およそ大医〔第一級の医者〕が病を治療するには、精神を安らかにして志を定め、何事も欲したり求めたりせず、まず大いなる慈悲惻隠の心を持って、あまねく人類の苦しみを救うことを誓うべきである。もし病に苦しんで助けを求めて来る者があれば、その貴賤や貧富、長幼や美醜、敵味方や親疎、華夷や愚智を問わず、分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接するべきである、と。 中国の古人が数百年前に早くもこのような理念を持っていたのは、非常に尊いことです。それぞれの医者はみな『大医精誠』に述べられているように、患者に「分け隔てなく、みな自分の身内を思うように接するべき」です。1人の医者として、自らの存在価値を社会に示すことができるとしたら、それは学んだことを使って人々に奉仕するということです。わたしはこれを自身の当然の責務としなければなりません。 【プロフィール】 ディアッラ(Diarra Boubacar...